『信長の野望・新生』武将能力:下間頼廉の評価は?【武将評価シリーズ・その60】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第60回目は、本願寺顕如を軍事面で支えた下間頼廉(しもつまらいれん)です。
戦闘面が注目されていますが、外交・政治面でも優秀な人物です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の本願寺顕如は以下のリンクから。
人物について
下間頼廉は天文6年(1537年)、下間頼康の子として生まれました。
本願寺11世の本願寺顕如に仕え、元亀元年(1570年)に本願寺が織田信長と交戦状態になったときに、顕如にかわって全軍の総司令官をつとめます。
鈴木重秀(雑賀孫一)とともに、10年に渡って信長を苦しめてきました。
その一方で、天正4年(1576年)に七里頼周が加賀で無法をおこなったさい、改めるよう文書を発するなど、内政面にも力を入れています。
天正8年(1580年)、本願寺の敗色が決定的になり、正親町天皇の勅命講和により本願寺を退去することになったときには、講和に署名したり、抵抗を続ける者たちの説得にあたったりと外交面でも活躍します。
信長が「本能寺の変」で亡くなり、秀吉の天下事業が成ろうとする天正17年(1589年)には、頼廉は本願寺町奉行に任じられます。
しかし、顕如が亡くなったのちにあとを継いだ長男・本願寺教如は秀吉の怒りを買って退去させられ、代わりに三男・本願寺准如が法主を継承します(西本願寺)。
頼廉はこれに異を唱えたことから、秀吉の怒りを買い、准如に従う誓約書を書かされます。
秀吉亡きあと、徳川家康が教如に新たな寺領を寄進(東本願寺)。こうして本願寺が東西に分かれます。頼廉は誓約書通り、准如の西本願寺を支持を続けました。
寛永3年(1626年)に死去。享年90歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:88
武勇:78
知略:87
政務:85
主義:保守
あくまで僧なのでこれぐらいでおさえたのでしょう。
ただ統率・知略は90近い高い数字になっており、政務も85ありますね。
過去作だと政務が20前後とかかなり低めになっていましたが、シリーズが進むにつれて評価が大きく変わっていきました。
戦法・特性について
(戦法)
罵声:敵部隊の防御低下。
(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
能吏:街道に関する具申が可能。
砲術:自部隊の鉄砲LV上昇。
内政官としての評価が上がっている証拠ですね。
「攻勢」もあるので、戦闘面でも能力を発揮するでしょう。
総評
下間頼廉はオールマイティー型の武将です。
統率・知略は90近い数字であり、政務も85あります。
またスキルも戦闘の「攻勢」や、内政の「能吏」がそろっています。
戦闘・内政と活躍していけるでしょう。
次回は太原雪斎です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。