『三國志14』武将能力:全琮の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その211】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第211回目は、呉の重鎮である全琮(ぜんそう)についてお届けします。前回の鄧芝は以下のリンクから。
人物について
全琮、字は子璜(しこう)。呉郡・銭唐県の人です。
父の全柔は後漢の朝廷に仕えていましたが、董卓が都で権力を握ると、官位を捨てて故郷に戻りました。
孫策が呉郡にやってきたときに、全柔はその配下となります。のちに桂陽太守となりました。
全柔は息子の全琮に、呉で米数千石を売り、必需品を買って戻ってくるように命じます。
しかし全琮は呉に行くと、米を人びとに分けてしまい、なにも買わずに帰ってきました。
当然、全柔は怒りましたが、全琮は、
「買わなければいけないものは、差し迫ったものではありません。しかし士大夫たちは飢えの苦しみにあります。許しを求める時間もなかったので、米を分けた次第です」
と答えました。全柔はこれを聞き、全琮の非凡さに感心しました。
当時、中原ではいくさ続きだったことから、全琮を頼って南方へと移住する者が少なくありませんでした。
全琮は家財を惜しみなく使い、これらの人びとを救助しました。これにより、全琮の名は広く知れ渡るようになりました。
のちに孫権が全琮を奮威校尉に任じ、兵士数千を授けました。
これに際して全琮が募兵をおこなったところ、一万余人が集まったといいます。
荊州の関羽が樊城を包囲すると、全琮は「いまこそ関羽を討伐するとき」と孫権に上奏しました。
しかし孫権はすでに呂蒙とともに、関羽討伐の策を練っていました。
事が漏れるのを心配した孫権は、全琮の上奏を無視し、何も返答をしませんでした。
関羽が捕らえられたのち、孫権は全琮にいいました。
「以前、そなたの上奏を無視したが、今日の勝利はそなたの手柄だ」
こうして全琮は、陽華亭侯に封じられました。
以降は、魏の侵攻をたびたび食い止めるなどの活躍をしました。
黄龍元年(229年)には徐州の牧となり、孫権の娘の孫魯班を妻とします。
全琮は呉の重臣となったのちも、驕り高ぶる態度を見せたことがなく、謙虚に振る舞っていました。
そののち、孫権の跡継ぎ問題で孫和派と孫覇派が対立すると、全琮もこれに巻き込まれ、孫魯班の支持する孫覇派に組します。
このことで、孫和派の陸遜とは険悪な仲になりました。
晩年は呉の政争の中心人物となりながら、赤烏12年(249年)に亡くなりました。
ちなみに跡を継いだ息子の全懌(ぜんえき)は魏との戦いで降伏し、一族を引き連れて魏将となります。それぞれ郡の太守になったり、列侯に封じられたりしました。
今回はそんな全琮の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:78
武力:72
知力:73
政治:61
魅力:70
主義:覇道
政策:軍制改革(Lv3)(部隊、都市の士気上限が上昇)
父親:全柔
配偶者:孫魯班
親愛武将:顧邵、孫魯班、龐統、陸績
政治以外は70台で、なんでもこなせるタイプですね。
龐統が顧邵や陸績とともに、呉郡にいたころに交流があったことからですね。そのため顧邵・陸績も親愛武将になっています。
個性について
慎重:敵勢力の罠から受ける被害が減少。
動員:官職に加えて、士気兵士が1000増加。
名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。
慰撫:所属都市に所在していると、賊が出現しなくなる。
富豪:所属都市に所在していると、収入時に決まった額の金を追加獲得。
どれも即効性があって使いやすいですね。内政・戦闘と、どちらもそろっています。
陣形と戦法
魚鱗、雁行、錐行、投石
兵器もあるので、さまざまな場面で活躍できるでしょう。
火矢:発火。対拠点可。
鯨波:味方の破城アップ+敵の攻軍ダウン。対拠点可。
投石:耐久ダメージ+ダメージ。対拠点可。
駆逐:ダメージ。
矢嵐:ダメージ。
攻城戦法と水軍戦法に偏っている形ですね。都市攻めや水上戦で力を発揮するでしょう。
総評
全琮はバランス型の武将です。政治以外は70台で、政治も60台あります。
個性は5つあり、どれも使いやすいものばかりです。「慰撫」があるので、賊が出現する場所に配置するのもいいでしょう。
陣形や戦法も豊富で、野戦・水上戦・都市攻略とさまざまな場面に対応していくことができるでしょう。
次回は陸績です。