『信長の野望・新生』武将能力:島津家久の評価は?【武将評価シリーズ・その33】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第33回目は、島津家最強の武力を誇る島津家久(しまづいえひさ)です。
近年は漫画「ドリフターズ」の影響で、豊久のほうが知名度が上がってしまっている感じですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の島津豊久は以下のリンクから。
人物について
島津家久は天文16年(1547年)、島津貴久の四男として生まれました。兄には義久・義弘・歳久がおり、いずれもすぐれた人物です。
家久は幼いころから、祖父・島津忠良に「軍法戦術に妙を得たり」と評価されていました。
初陣は永禄4年(1561年)、「廻坂の戦い」です。わずか15歳ながら敵将・工藤隠岐守を討ち取りました。
永禄12年(1569年)の大口城攻略では、城に籠る敵兵を誘い出し、伏兵によって討ち取ります。
家久がもっとも名を挙げたのが、龍造寺軍と戦った「沖田畷の戦い」。
竜造寺の大軍を沖田畷の湿地帯に誘い込み、伏兵で三方から攻撃する「釣り野伏」戦法で大戦果を挙げました。またこのいくさで、敵大将の龍造寺隆信も討ち取っています。
天正14年(1586年)、九州平定を目指す豊臣秀吉は、仙石秀久(仙谷権兵衛)を大将に、長宗我部元親・信親や十河存保の連合軍6千ほどを九州へ向かわせました。
家久はこれと戦い、乱戦の末、長宗我部信親・十河存保を討ち取っています(戸次川の戦い)。
しかしそののち、秀吉はおよそ20万もの大軍を送り込んできたため降伏。
それからまもなく、天正15年(1587年)に病死しました。享年41歳でした。
基本ステータスについて
統率:92
武勇:97
知略:86
政務:57
主義:革新
島津家では最強の武力ですね。統率は義弘が95あるので、義弘のほうが上です。
さらに知力も86と高いので、城攻めでも力を発揮するでしょう。
ただ過去作ではばらつきがあって、「革新」や「天道」だと統率が95~96はありましたね。「天道」では統率96、武勇82と、統率のほうが評価されていました。
戦法・特性について
(戦法)
釣り野伏:敵部隊の兵力減少・混乱付与。
(特性)
牢固:自部隊の防御上昇。
地の利:合戦で積極的に要所を襲撃。
竜騎兵:自部隊の騎馬LV・鉄砲LV上昇。
混乱を付与させられるので、一気に叩き込めますね。
特性のほうも攻守バランスの取れた形になっています。
総評
島津家久は島津家最強の武力(97)を持つ武将です。
また統率92、知力86と、野戦・攻城ともに高いステータスを持っています。
島津の得意技である「釣り野伏」も持っているので、いくさでバンバン活躍させてやりましょう。
次回は仙石権兵衛(秀久)です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。