『信長の野望・新生』武将能力:蒲生氏郷の評価は?【武将評価シリーズ・その57】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第57回目は、織田信長や豊臣秀吉に認められながらも若くして亡くなった蒲生氏郷(がもううじさと)です。
「銀鯰尾兜(ぎんなまずおかぶと)」と呼ばれるものですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の大谷吉継は以下のリンクから。
人物について
蒲生氏郷は弘治2年(1556年)、六角承禎の重臣・蒲生賢秀の三男として生まれました。幼名は鶴千代。
永禄11年(1568年)、六角氏が滅亡すると、蒲生賢秀は氏郷を人質として信長に差し出します。
信長は氏郷をひと目見て「ただものではない」と見抜き、次女・相応院を氏郷に嫁がせることにしました。
元亀元年(1570年)4月、氏郷は父とともに柴田勝家の与力となり、多くの戦場で活躍します。
「本能寺の変」で信長が亡くなると、氏郷は父とともに、安土城にいた信長の家族を保護します。さらに明智光秀の動きを封じていました。
秀吉が中国大返しで光秀を討つと、氏康は秀吉の臣下となります。
「賤ヶ岳の戦い」では滝川一益と戦い、秀吉の勝利に貢献しました。
その後の徳川家康との「小牧・長久手の戦い」でも戦功を挙げました。
また氏郷は、千利休の7人の高弟「利休七哲」の筆頭になれるほど、文化人としても名高い人物でした。
秀吉が奥州を平定すると、氏郷は36歳の若さで会津42万石の大大名となります。そして会津から伊達政宗や家康などににらみをきかせていました。
内政にも力を入れ、会津の発展に尽力しました。
しかし文禄4年(1595年)、伏見の蒲生屋敷において病死してしまいます。享年40歳でした。
基本ステータスについて
統率:89
武勇:85
知略:82
政務:85
主義:革新
藤堂高虎型のオールマイティな武将ですね。戦闘・内政と、全方向で活躍できます。
過去作では70~80台あたりのステータスが多かったのですが、だんだんと80台以上でまとまってきた感じです。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。
(特性)
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
修繕:所属城の耐久自然回復量上昇。
数奇:家宝をまれに入手。
「自衛」「修繕」など、拠点防衛に向いたスキルを持っていますね。
オマケ要素として「数奇」もあります。
総評
蒲生氏郷はオールラウンダーな能力を持った武将です。
ステータスはすべて80台で、とくに統率は89と90近い数字になっています。内政・戦闘と役に立つでしょう。
特性は「自衛」「修繕」など、防御用のものになっていますので、防衛戦で活躍していけます。
次回は鈴木重秀(雑賀孫一)です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。