『三國志14』武将能力:関銀屏の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その84】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第84回目は、関羽の娘である関銀屏(かんぎんぺい)についてお届けします。前回の花鬘は以下のリンクから。
人物について
関銀屏は、民間伝承では関羽の3番目の娘とされ、「関三小姐」ともいわれています。
正史でも「関羽の娘」が登場しますが、名前は出ていません。劉備が漢中王になったのち、荊州を守る関羽に孫権が「娘を我が息子の嫁に」と申し入れています。
しかし関羽は使者を怒鳴りつけて侮辱し、婚姻を許しませんでした。このことで孫権は腹を立て、両者の関係が悪化します。
「三国演義」では呉に仕える諸葛亮の兄・諸葛瑾が縁談の使者としてやってきたときに、関羽は、
「虎の娘を犬の子に嫁がせるというのか!」
と追い返してしまいました。
そうですね。正史でも演義でもこれがきっかけの一つとなり、魏と呉が手を組むことになります。
荊州は魏・呉から狙われ、関羽は滅ぼされてしまいました。
この時代の婚姻は同盟の意味がありますからね。
ただ荊州は、つねに呉との係争地となっていました。孫権のほうも隙と口実があれば攻めとろうとは思っていたのでしょう。
民間伝承のほうの関銀屏ですが、「三国外伝」(上海文芸出版)にその伝承が記載されています。この本では、民間に伝わる三国志の逸話が250編ほど収集されています。70人ほどのスタッフが中国の十数省・50余りの県を訪れ、インタビュー調査したというものです。
以前孟獲の回で紹介した「三国志外伝―民間説話にみる素顔の英雄たち(Amazonリンク)」(立間祥介/岡崎由美・訳|徳間書店)は、「三国外伝」の一部を翻訳したものです。
ただ文献ではなく、あくまで現地の人からの「伝え聞き」なので、いつの時代に成立した話なのかを知る手段はありません。
「そういう講談や芝居が現地にある」ということでしかないため、下手をすれば「最近作られた話」という可能性も否定できません。
「三国外伝」における関銀屏の物語ですが、雲南省の伝承がもとになっています。調査のときに語ってくれたのは、韓統信(69歳)と師茂徳(80歳)のお二人です。
その内容ですが、関羽に三番目の娘が生まれると、張飛が祝いにやってきました。
張飛はその赤ん坊を愛おしく思い、「銀屏」という名を付けました。
さらに張飛は、自分が大切にしていた巨大な真珠まで贈ったのです。
この真珠ですが、もとは呂布の紫金冠についていたものです。呂布と戦ったときに奪ったもので、大きさは饅頭ほどあり、張飛はずっと家宝にしていました。
息子の張苞にあたえるのも気恥ずかしく、劉禅にあげるのはもったいないとのことで、関銀屏を見て大喜びであたえたのです。
関銀屏は成長すると、美しいだけでなく、さまざまな芸事にも通じた才女となりました。
年ごろになると縁談の申し込みが殺到し、朝から晩まで使者の往来が途切れることがなかったといいます。
孫権も関銀屏の噂を聞き、「息子の嫁に」と、使者に貴重な礼物を持たせて関羽のもとへ向かわせました。
しかし関羽は怒って使者を追い返します。
孫権は関羽の仕打ちに腹を立て、
「荊州を落として、関銀屏を奪ってくれよう!」
と出兵の準備をしました。
関銀屏は父が孫権の使者を追い返したことを知り、「いくさのもとになる」と心配していました。諸葛亮に事情を知らせるため、単身蜀へと向かいます。
しかしその間に、関羽は滅ぼされてしまいました。
一方、蜀の劉備のもとにいた関銀屏ですが、父が亡くなったことで毎日泣いていました。
劉備が豪華な食事を並べても、張飛が美しい着物を送っても、「かたき討ちをするまでは、ぜいたくはしたくありません」というばかりです。
劉備も張飛も困り果ててしまい、関銀屏に、
「そなたはまだ若い。本を読むなり、裁縫をするなりしてはどうか」
とすすめます。すると関銀屏は、
「ならばかたき討ちのため、武芸をしとうございます」
といいました。
これを聞いた劉備と張飛は、教えるのが上手い趙雲を関銀屏の師匠にしました。
関銀屏は趙雲に従い、朝から晩までずっと武術の稽古をしていました。こうして武術の腕がどんどん向上していったのです。
やがて諸葛亮が雲南の平定に乗り出したとき、南中の出である李恢(りかい)という者を従軍させました。
この者の息子・李蔚(りい)も優れた人物であることから、諸葛亮は関銀屏と婚姻を結ばせることにしました。
多くの者たちはこれを知り、「南蛮は危険な土地だ。行くものじゃない」と関銀屏を引き止めます。
しかし関銀屏は、「国の大事に、わが身を心配していられるでしょうか」と諸葛亮に従って李蔚と婚姻を結び、南中へ向かいます。
大功を立てたのち、関銀屏は李恢・李蔚の親子とともに南中の兪元に住み、現地の人びとに農業や読み書きなどを教えて暮らしました。
故郷のことも思っていたのですが、土地の人たちと別れるのもたえられなかったのです。
そこで関銀屏は毎朝、金蓮山に登って、北を向いて朝化粧をしました。その場所は「化粧台」と呼ばれるようになりました。
関銀屏が亡くなったのち、民は彼女が大切にしていた真珠とともに、化粧台の近くに埋葬しました。
その真珠はいまでも金蓮山に埋まっていて、山頂が輝いているのはそれが理由だとのことです。
花鬘のほうの民間伝承では、関銀屏は関興の妻たち(鮑三娘、花鬘、王桃、王悦)を部隊に組み入れ、統率していたともされていますね。
今回はそんな関銀屏の能力について見ていきましょう。
基本ステータスについて
関銀屏が「三國志」シリーズに登場するのは『三國志11』からですね。そのときは武力82ありました。そこからどんどん落ちていきましたね。
女性武将の能力はあまり高くしないという方針になったのでしょうね。
個性について
森戦:森・密林で自ユニットの全能力が上昇。
血路:自身を除く特定範囲内の味方武将が捕虜にならない。
親蛮:所属都市に所在していると南蛮が出現しない。計略「埋伏の毒」で南蛮が出現する。
南蛮平定で活躍した武将ですしね。
劉備亡きあとで蜀が勝利を収めているのが南蛮平定ぐらいですからね。使いやすいというのもあるのかもしれませんね。
陣形と戦法
魚鱗、鋒矢、長蛇
花鬘とおなじで、「長蛇」と「森戦」で相乗効果を狙うことができますね。戦う場所は限定されますが。
奮戦:ダメージ。
激励:味方の士気+攻軍アップ。対拠点可。
牽制:敵の攻城+破城ダウン。
「奮戦」は花鬘とおなじで、「激励」は花鬘の「罵声」(敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可)と逆になっていますね。とくにこれといった戦法はない感じです。
総評
関銀屏は、戦闘ユニットとしては平凡です。かろうじて統率・武力が70以上あるので、攻め手の補強として使うといいでしょう。
個性として、森・密林で全能力アップする「森戦」や、所属した都市に南蛮が出現しない「親蛮」があるので、うまく使っていくといいかと思います。
次回は娘つながりで、呂布の娘の呂玲綺を予定しています。
それとここまでで関羽の子どもたちが全員登場したので、関羽ファミリーの能力比較企画も予定しています。
↓次回出来ました。
↓特別企画「関羽と子孫たちの比較」出来ました。