『三國志14』武将能力:法正の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その44】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第44回目は、劉備の蜀取りを陰で支えた軍師・法正(ほうせい)についてお届けします。前回の典韋は以下のリンクから。

人物について

ホウセイ マイフレンド……ニャ。

そのネタはよく聞きますが、番組を観たことがないのでコメントしようがありません。そのころは中国にいましたし、もとよりテレビネタや芸能ネタは詳しくないので振られても対応できないです。もうしわけない。

中国のどこにいたのニャ?

河南省の鄭州市です。大学で教えていたのでキャンパス内の宿舎に住んでいました。歩いていける距離に約13万点の古代の出土品を収めた中国の最重要博物館「河南博物館」がありましたし、2時間ぐらいあれば洛陽の龍門石窟関林廟(関羽を祭る廟)にも行けました。曹操と袁紹が戦った「官渡の戦い」の官渡も鄭州市にあります。歴史好きには良い場所です。

河南省はいろいろあるのニャ。

曹操の墓(安陽市)も、魏の都の許昌(許昌市)も河南省です。「中原」ですから、三国志関係のものは多いですね。商(殷)の遺跡もあるので、「封神演義」好きの人にもおすすめです。

そういえば少林寺も河南省にあるニャ。

ありますけどあまり面白くないです。入場料が高いですし、少林寺内の車の運賃もぼったくりレベルで高いです。見るものもそんなにありませんし。近くの武術学校の学生が演武をしてくれるというぐらいですね。一度行ったらもういいかなという感じでした。

そんなものかニャ。

あくまで筆者の感想ですので、人によっては面白いかもしれません。ちなみにお土産にヌンチャクを買って帰りました。

ブルース・リー世代かニャ。

ジャッキー・チェン世代です。

話が三国志からそれてきたので戻しまして――。

すごく長々と語ったニャ。

法正、字は孝直(こうちょく)。扶風郡・郿県の人です。

孟達とは同郡です。建安初年に飢饉になると、孟達とともに劉璋のもとに身を寄せました。

孟達とは仲が良かったのニャ。

法正は、劉璋のもとでは重用されませんでした。さらに同村の者から「法正は品行方正ではない」(シャレではない)と讒言され、活躍の場を失います。

法正と仲良くなった張松は、「劉璋がともに大事をおこなうことのできない暗愚な人物だ」と、いつも嘆息していました。

張松は曹操に会ってきたのち、劉璋に「曹操と縁を切り、劉備と結ぶべきです」とすすめます。「使者は誰がよい?」と聞くと、張松は法正を推薦します。

法正は気がすすまなかったのですが、仕方なく劉備に会いに行きます。

そしてもどってきたときには、「劉備こそが我々の主だ」と張松にいい、ともに劉備入蜀の計画を練りはじめます。

この2人が劉備の蜀入りを陰で支えたのニャ。

やがて機会がやってきました。

「曹操が大軍を派遣し、張魯を討伐する」という報が入ったのです。

張魯のいる漢中は、蜀への北側の入り口にもなっています。漢中が突破されると、その次は蜀の番になってしまいます。

劉璋は曹操の蜀侵攻をおそれました。

そこで張松は、劉備を呼んで曹操に対抗するよう劉璋に提案します。

劉璋はこれを承認し、法正を劉備のもとへ向かわせました。こうして法正は劉備に蜀取りの計画を話し、それが実行されたのです。

法正がいなかったら、劉備も動きようがなかったニャ。

劉備が攻めてくると、劉璋の部下の鄭度という者が進言します。

「巴西・梓潼の民を移動させ、穀物をすべて焼き払うのです。そうすれば敵は兵糧不足で、百日もたたずに撤退するでしょう」

この策を知った劉備は、あわてて法正に相談しました。

しかし法正はいいます。

「どうせその策は用いられません。気にしなくていいでしょう」

じっさいにそのとおりで、劉璋は「民を移動させるなどという策は聞いたことがない」と鄭度の策を退けてしまいます。

法正は劉璋の暗愚さがわかっていたのニャ。

劉備が成都を包囲すると、劉璋配下の許靖が城壁を越えて投降しようとしました。が、失敗。彼は蜀郡の太守で、世間的には評判の高い人物でした。

劉璋が降伏したのち、劉備は許靖のおこないを知るとこれを嫌い、起用しませんでした。

そこで法正はいいます。

「世の中には名声があるにもかかわらず、実質がともなっていない者がいます。許靖がまさにその一人でしょう。

しかし許靖の虚名は四海に広まっており、主君はまだ事業を始めたばかりです。

もし許靖をないがしろにすれば、主君は「賢者を遠ざける人物」と天下に思われてしまうでしょう。

ここは許靖を丁重にあつかい、天下にそのことを示したほうが得策です。燕王が郭隗を重用した故事に習うのです」

「まずは隗より始めよ」ニャ。法正はきわめて現実的で合理的な考え方をする人ニャ。もと2チャンネル管理人の西村ひろゆき氏みたいニャ。

それはどうか知りませんが、現実主義者であることは間違いないでしょう。

ちなみに法正自身も徳のある人物とはいえませんでした。蜀占領後に蜀郡太守となると、以前のちょっとした恨みにもかならず報復し、自分を非難する者がいればそれを殺しました。

恐怖政治ニャ。

諸葛亮はこの報告を受けても、法正の功績を思って放置しました。劉備が法正を信頼していたこともあったからでしょう。

泣いて法正は斬らないのニャ。なんか不公平ニャ。

曹操が張魯を降して漢中をとると、夏侯淵張郃の2将を残して北へと引き上げました。

これを知った法正は、劉備にいいます。

「漢中をとった勢いに乗じて蜀に攻めてこないのは、内部になにか差し迫った問題があるからです。これこそ天のあたえた好機。いまのうちに出兵し、漢中を奪いましょう」

劉備はこの案を受け入れ、法正・黄忠とともに出兵します。黄忠は定軍山で夏侯淵を斬り、劉備は漢中をその手に収めて漢中王となりました。

法正はこの功績で尚書令・護軍将軍に任じられましたが、その翌年、45歳で亡くなりました。

のちに劉備が関羽のかたきを討つために呉へ出兵し、陸遜に討ち破られます。

諸葛亮は「法正がいたなら主君の東征を止められた。そうでなくとも、これほどの目にはあわなかったはずだ」と嘆いたといいます。

現実主義の法正なら、うまく劉備を止められたと思うニャ。

今回はそんな法正の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:82
武力:47
知力:94
政治:78
魅力:57
主義:名利
政策:火計研究(Lv5)(火計の効果が上昇、Lvで火罠解放(5:火船、10猛火罠))
親愛武将:黄忠、張松、孟達、劉備

知力94ニャ。

おなじ知力94には荀攸がいます。徐庶は知力93なので、徐庶よりも高いことになります。ちなみに陸遜・荀彧が知力95です。

法正は、1のころは知力87で、『三國志4』まではずっと80台でした。『三國志5』から急に評価されはじめ、以降ずっと90台で推移しています。

武力は低めですが、統率は82ありますので、戦闘ユニットとしても使っていくことができる武将です。

 

個性について

詭計:特定範囲内の敵ユニットの攻城が低下(艦船、兵器以外)。

言毒:特定範囲内の敵ユニットが異常状態「挑発」になったさい、期間を延長。

地利:自勢力に属す地域内では、自ユニットの全能力が上昇。

策士:計略で優遇。

法律:地域担当官に任命すると治安が上昇しやすい。

守り向きの個性が多いニャ。

地利」は自勢力内なら全能力が上がるという個性です。「詭計」と合わせ、守りに使うことができるでしょう。

また「策士」「法律」の個性で、計略や内政でも活躍することができます。

 

陣形と戦法

陣形

雁行、方円、井闌、衝車

「井闌」「衝車」の2種類の兵器を持っていますね。状況に応じて使い分けたいところです。

戦法

機略縦横:「混乱」+「足止」付与。

火矢:発火。対拠点可。

連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。

挑発:「挑発」付与。対拠点可。

井闌:ダメージ。対拠点可。

衝車:耐久ダメージ。対拠点可。

戦法多いニャ。

都市攻めのときは味方に守ってもらい、兵器で出陣するのがいいかと思います。

防衛戦では「機略縦横」「連弩」で敵の侵攻を遅らせることができるでしょう。

 

総評

法正は軍師タイプの戦闘ユニットです。「井闌」「衝車」持ちなので、都市攻めでも活躍していけるでしょう。

また防衛戦においては自領土で全能力アップの「地利」や、敵の攻城を落とす「詭計」、足止効果のある「機略縦横」「連弩」などを駆使していくといいかと思います。

計略・内政面においても、「策士」「法律」で支えていくことのできる武将です。

潰しの利く武将ニャ。

次回は馬岱を予定しています。

「ここにいるぞ!」ニャ。

↓次回出来ました。