『三國志14』武将能力:何晏の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その175】|三国志14

2020年7月6日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第175回目は、何進の孫で文化人だった何晏かあん)についてお届けします。前回の何氏は以下のリンクから。

 

人物について

何晏、字は平叔(へいしゅく)。何進の孫で、父親は不明です。曹操の養子となっていました。

なんだかんだで、何進の血筋は生き残っているのニャ。

祖父の何進は宦官らによって殺されてしまいましたが、曹操が司空になったときに、何晏の母の尹氏が曹操の側室になったことから、何晏も曹操の養子となったのです。

また曹操の娘・金郷公主を妻とし、若いころから秀才として高い評判を得ていました。

とくに老荘思想を好み、数十篇にものぼる文・賦を著しています。

祖父とは違って教養があるのニャ。

幼いころから宮中で育っていたこともあり、文化人の気質ができていたのでしょう。

呂布の部下であった秦宜禄の妻も曹操の側室になったことから、その息子の秦朗も曹操の養子となっていました。

何晏と秦朗の性格は真逆で、秦朗が慎み深く慎重な性格であったのに対し、何晏は遠慮を知らず、自由奔放の道楽者でした。また太子のように好き勝手振る舞っていました。

このことから、、曹丕は何晏を嫌い、いつも「養子」と呼んでいたといいます。また曹丕が曹操のあとを継いだのち、何晏を任用することはありませんでした。

曹丕には嫌われていたのニャ。

曹叡が即位したのち、何晏は閑職を任じられます。

それから曹爽に組したことと、もとより才能があったことから、侍中尚書に昇進します。

何晏はナルシストで、どんなときも白粉(おしろい)を手放さず、歩くときも自分の影を振り返って眺めるほどでした。

なんかすごいキャラニャ。

司馬懿のクーデターによって曹爽が裁判にかけられると、何晏はその取り調べ役に任じられます。

何晏は連座させられるのを避けるため、仲間たちを厳しく裁きました。

しかし最後に司馬懿に、「まだ罪人がいるだろう」といわれ、「わたしのことですか」と答えると、「そのとおりだ」といわれました。

こうして何晏も逮捕されてしまいます。

何晏には5~6歳の息子がいて、司馬懿はこの子も捕らえようとしました。

何晏の母・尹氏は孫を宮中に隠し、使者が来たときに自分の頬を叩きながら、孫の命を助けてほしいと懇願します。

使者はいったん引き返し、その様子を司馬懿に報告しました。司馬懿は特赦をあたえて、何晏の子を殺さなかったといいます。

子は生き残ったのニャ。

今回はそんな何晏の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:6
武力:27
知力:71
政治:68
魅力:4
主義:名利
政策:地勢研究(Lv3)(落穴、投石、弓櫓によるダメージが増加)
親愛武将:夏侯玄賈充司馬師、曹爽、李勝
嫌悪武将:曹丕、傅嘏

魅力低いニャ。4しかないニャ。当時は人気があった人なんじゃないのかニャ?

たしかに4は低すぎる気はしますね。文化人としては人気があったとは思いますが。

初登場の『三國志7』では魅力は32で、そこからどんどん落ちていった形ですね。

最初から評価が悪かったのニャ。

 

個性について

扇動:特定範囲内の敵ユニットが「混乱」になったさい、期間を延長。

学者:君主と自分の主義がおなじばあい、毎ターン主義経験値を獲得。

小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。

強欲:自身の俸禄が増加。

高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。

バッド個性が3つニャ。

統率も低いですし、出陣させなければそこまで大きな問題はないでしょう。

主義が名利なので、「学者」は噛み合いにくいとは思います。

 

陣形と戦法

陣形

方円、投石

いちおう兵器も使えますが、「高慢」持ちなので微妙なところです。

戦法

混乱:「混乱」付与。対拠点可。

罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。

文官戦術ニャ。

出陣させなくてもいいでしょう。

 

総評

何晏は文官タイプの武将ですが、全体的な能力は低めです。統率は6、魅力は4しかありません。

個性も使えるほどのものはなく、むしろ「高慢」「強欲」によって存在自体が足をひっぱってきます。

知力・政治は70前後あるので、適当に内政をやらせておくといいかと思います。

個性派は、政治の舞台だと使いづらいニャ。

次回は秦朗を予定しています。【追記】次回出来ました。