『三國志14』武将能力:何晏の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その175】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第175回目は、何進の孫で文化人だった何晏(かあん)についてお届けします。前回の何氏は以下のリンクから。
人物について
何晏、字は平叔(へいしゅく)。何進の孫で、父親は不明です。曹操の養子となっていました。
祖父の何進は宦官らによって殺されてしまいましたが、曹操が司空になったときに、何晏の母の尹氏が曹操の側室になったことから、何晏も曹操の養子となったのです。
また曹操の娘・金郷公主を妻とし、若いころから秀才として高い評判を得ていました。
とくに老荘思想を好み、数十篇にものぼる文・賦を著しています。
幼いころから宮中で育っていたこともあり、文化人の気質ができていたのでしょう。
呂布の部下であった秦宜禄の妻も曹操の側室になったことから、その息子の秦朗も曹操の養子となっていました。
何晏と秦朗の性格は真逆で、秦朗が慎み深く慎重な性格であったのに対し、何晏は遠慮を知らず、自由奔放の道楽者でした。また太子のように好き勝手振る舞っていました。
このことから、、曹丕は何晏を嫌い、いつも「養子」と呼んでいたといいます。また曹丕が曹操のあとを継いだのち、何晏を任用することはありませんでした。
曹叡が即位したのち、何晏は閑職を任じられます。
それから曹爽に組したことと、もとより才能があったことから、侍中尚書に昇進します。
何晏はナルシストで、どんなときも白粉(おしろい)を手放さず、歩くときも自分の影を振り返って眺めるほどでした。
司馬懿のクーデターによって曹爽が裁判にかけられると、何晏はその取り調べ役に任じられます。
何晏は連座させられるのを避けるため、仲間たちを厳しく裁きました。
しかし最後に司馬懿に、「まだ罪人がいるだろう」といわれ、「わたしのことですか」と答えると、「そのとおりだ」といわれました。
こうして何晏も逮捕されてしまいます。
何晏には5~6歳の息子がいて、司馬懿はこの子も捕らえようとしました。
何晏の母・尹氏は孫を宮中に隠し、使者が来たときに自分の頬を叩きながら、孫の命を助けてほしいと懇願します。
使者はいったん引き返し、その様子を司馬懿に報告しました。司馬懿は特赦をあたえて、何晏の子を殺さなかったといいます。
今回はそんな何晏の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
たしかに4は低すぎる気はしますね。文化人としては人気があったとは思いますが。
初登場の『三國志7』では魅力は32で、そこからどんどん落ちていった形ですね。
個性について
扇動:特定範囲内の敵ユニットが「混乱」になったさい、期間を延長。
学者:君主と自分の主義がおなじばあい、毎ターン主義経験値を獲得。
小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。
強欲:自身の俸禄が増加。
高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。
統率も低いですし、出陣させなければそこまで大きな問題はないでしょう。
主義が名利なので、「学者」は噛み合いにくいとは思います。
陣形と戦法
方円、投石
いちおう兵器も使えますが、「高慢」持ちなので微妙なところです。
混乱:「混乱」付与。対拠点可。
罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。
出陣させなくてもいいでしょう。
総評
何晏は文官タイプの武将ですが、全体的な能力は低めです。統率は6、魅力は4しかありません。
個性も使えるほどのものはなく、むしろ「高慢」「強欲」によって存在自体が足をひっぱってきます。
知力・政治は70前後あるので、適当に内政をやらせておくといいかと思います。
次回は秦朗を予定しています。【追記】次回出来ました。