『三國志14』武将能力:辛毘(辛毗)の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その106】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第106回目は、辛評の弟であり曹魏三代を支えた辛毘(辛毗)(しんぴ)についてお届けします。前回の辛評は以下のリンクから。
人物について
辛毗、字は佐治(さち/さじ)。潁川郡・陽翟県の人です。
前回登場した辛評の弟ですね。子には辛憲英と辛敞(しんしょう)がいます。
「三国演義」や「三國志」シリーズだと「辛毘」と表記されます。本記事は正史の内容なので「辛毗」で統一します。
兄の辛評が郭図とともに袁紹に仕えたことで、辛毗も袁紹に仕えることになりました。
曹操が司空になると、辛毗を召し寄せようとしましたが、これに応じませんでした。
袁紹の死後、辛評・郭図は袁譚を、審配・逢紀は袁尚を後継者に推します。
袁譚と袁尚が決別したときに、辛毗と郭図の家族は袁尚のもとから脱出することができましたが、兄の辛評の家族は捕まってしまいました。
袁譚が袁尚に敗れ、窮地に立たされたとき、郭図は曹操と手を結ぶことを提案します。
このときの使者として、郭図の推薦で辛毗が曹操のもとに送られました。
曹操は、最初は和議に喜んでいたのですが、数日もすると考えを変えました。
「いまは袁尚を討つことよりも、さきに荊州の劉表を討ったほうがいい。袁譚・袁尚は勝手に戦わせて、疲弊させておけ」
と思ったのです。
別の日の宴席で、辛毗は曹操が心変わりしていることに気付き、郭嘉に相談しました。
郭嘉は辛毗の考えを曹操に伝えると、曹操は辛毗にたずねました。
「袁譚は信用できるのだろうか。戦いは袁尚が勝つと思うが」
すると辛毗は答えました。
「いま袁尚は袁譚との戦いによって困窮しています。
しかし殿はこの機をのがし、荊州を攻略されようとしておられます。
荊州は物資豊かで、国に隙はありません。いま袁譚からの救援の要請を受ければ、その利益は莫大なものになりましょう」
曹操は辛毗の言葉に納得し、審配の守る鄴を攻略します。
城が落ち、審配が捕らえられると、辛毗は袁尚に捕まった兄の家族をさがしに向かいます。しかしすでに全員、審配に処刑されていたのです。
辛毗は怒り、曹操のもとに連れられていく審配を鞭で打ち、ののしりました。審配もののしり返します。
曹操は審配を処刑したくなかったのですが、辛毗が号泣するうえに、審配も降伏の意思がなかったので、けっきょく処刑してしまいました。
曹操が亡くなり、曹丕があとを継ぐと、辛毗は禅譲に協力して曹丕を帝位につけました。これによって漢王朝は滅びます。
辛毗は侍中に昇進し、関内侯の爵位を賜りました。
辛毗は、曹丕に対して遠慮のない物言いをしていました。
曹丕が冀州に士卒の家十万戸を移し、河南を充実させたいと考えていたときのことです。
当時はいなごの害があり、民が飢えていたため、多くの群臣たちは「移住させるべきではない」と考えていました。
しかし曹丕の意志は強く、これを曲げさせることができませんでした。
そこで辛毗は、群臣たちとともに曹丕のもとへ向かいました。
一方の曹丕も、辛毗らが諫言するつもりだとわかっていたので、嫌々ながらも会うことにしました。
群臣たちが誰も発言できないでいると、辛毗がいいました。
「士卒を移住させる計画は、いったいどこから来たのでしょうか?」
「おまえは移住させるのがだめだというのか?」
と曹丕は聞き返します。
辛毗は恐れずに「いいわけがないと考えております」と答えます。
「わたしはおまえとは議論する気はない」と曹丕がいいました。
「陛下はわたくしを諮問官にした以上、どうして議論せずにすむと思うのでしょうか。わたくしの申すことは、個人の話ではありません。国家についてのことです」
曹丕は返事をせず、立ち上がって奥へ入っていこうとしました。
辛毗はすぐにあとを追い、その袖をひっぱります。すると曹丕は袖を振り払い、奥へと入っていってしまいました。
しばらくすると、曹丕が奥から出てきました。
「佐治(辛毗の字)よ。おまえはなぜ、わたしに対してそうも厳しいのだ」
「いま移住させれば、民心を失ううえ、あたえる食糧もありません」
けっきょく曹丕は、士卒の半数だけを移住させました。
またあるとき、辛毗は曹丕のお供をして雉狩りに出かけました。
曹丕が雉を射落とし、「雉狩りは楽しいものだ」といいました。
しかし辛毗は、
「陛下には楽しくても、群臣にとってはたいへん苦しいことです」
と答えました。
そのとき曹丕は押し黙ったままでしたが、以降、雉狩りに出かけることは稀(まれ)になりました。
曹丕が呉を討伐しようとしたときも、辛毗は諫言します。
「呉の民は凶暴で、これに対抗するのは難しいことです」
「おまえは子孫に敵を残せというのか」
「昔、周の文王は、商(殷)の紂王を武王に残しました。これは時節を知っていたからです。いまは時節がよくありません。中止するべきでしょう」
曹丕は辛毗の言葉を聞かずに出兵しましたが、長江まで行ってから帰還してしまいました。
曹丕が亡くなり、曹叡が即位すると、辛毗は潁郷侯の爵位を賜ります。
当時、曹叡の側近である劉放・孫資が、朝廷を牛耳っていました。
多くの群臣が劉放らにおべっかいを使っていましたが、辛毗はそうしませんでした。
辛毗の子の辛敞が、
「今は劉放・孫資が権力を握り、多くの者が彼らにしたがっています。父上も少しは心をおさえ、俗世に妥協するのがいいのではないでしょうか。さもなければ、やつらに讒言されるかもしれませんぞ」
といいました。
しかし辛毗はいいます。
「陛下は暗愚ではないし、わたしにはわたしの生き方がある。
たとえあの二人とうまくいかなくても、やつらにできるのは、せいぜいわたしを三公にさせないことぐらいだ。それのなにが危険なのだ。
大の男が、三公になりたいがために、節義を失えというのか」
曹叡がりっぱな宮殿を造り、民が労役に疲れていたときに、辛毗は上奏文を奉ります。
「密かに聞きましたところ、諸葛亮は兵馬をととのえ、孫権は遼東から馬を買っています。彼らはたがいに助け合うつもりです。
不測の事態に備えるのが善政でありますのに、いまは宮殿を大造営されています。どうか国家のためにご配慮ください」
これに対し曹叡は返信します。
「王者の都は民の労苦に配慮しながら、後世、これ以上増築しなくていいようにしなければならない。これこそが、蕭何(漢建国の重臣)が漢のために、手直ししないですむ建物を建てた理由だ。そなたは魏の重臣であるから、この大きな趣旨を理解しなくてはならない」
こののち、曹叡は北芒山を崩して、そのうえに台を作り、孟津を眺めたいと望みました。辛毗はこれにも諫言し、やめさせています。
諸葛亮の侵攻を防ぐため、司馬懿がたびたび交戦の許可を曹叡に求めました。
そこで曹叡は辛毗を大将軍軍師・使持節に任命し、司馬懿の交戦をひかえさせました。司馬懿は命令を無視することもできたのですが、つねに辛毗の指示に従ったといいます。
やがて逝去し、粛侯と諡(おくりな)されました。
今回はそんな辛毗の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:38
武力:25
知力:79
政治:79
魅力:76
主義:王道
政策:運搬開発(Lv3)(輸送隊の機動と輸送量が上昇)
親愛武将:曹丕
嫌悪武将:審配、孫資、劉放
実績のあった人ですしね。知力・政治も補正があれば80台になるでしょう。
統率・武力が低いので、戦闘ユニットとしては厳しいですね。
個性について
規律:自ユニット、太守として所在する拠点が異常状態「混乱」にならない
諌止:自ユニットを除く特定範囲内の味方ユニットが「挑発」になったさい、その期間を短縮
論客:外交で優遇。
「規律」「諌止」は辛毗らしい個性ですね。また曹操のもとへ行き、袁譚との同盟を成功させたことから「論客」もあります。
戦闘では、他の部隊へのサポートにはなるとは思います。
陣形と戦法
鶴翼、衝車
「衝車」があるので、都市攻めのサポートに使えるでしょう。
足止:「足止」付与。
治療:負傷兵回復。対拠点可。
鎮静:状態異常解消。
統率・武力が低いですし、野戦をさせるより兵器運用のほうが良さそうですね。
総評
辛毗は文官タイプの武将です。
知力・政治・魅力はそこそこ高く、「論客」もあるので、内政や外交面で使うことができるでしょう。
統率・武力は低いですが、「衝車」があるので、都市攻めのサポートをさせるのもいいかもしません。
次回は辛毗の娘、辛憲英を予定しています。
↓次回と「孫子の兵法書」第7回目出来ました。